白方地区紹介 (白方の地名の由来と、白方古墳群)

 白方の地名の由来について、「白砂と河川の干潟」に由来するという説があります。
「日本書紀」には神武天皇が河内国の白肩津(現大阪府枚岡市日下町)に入津した記録があり、古代には潟湖にのぞんだ港であったということです。潟は引き潮に現れる海岸のなぎさの意と、砂丘などに囲まれて細い水路で海に繋がる湖沼や湾の意味もあり、白方が白潟とも記されることから当地方が、古代や中世には舟着場であったと考えられています。
 常陸地方の古い地形は、中世の頃までは現在より数メートル高いところが水陸境界線でありました。真崎浦や細浦も江戸時代に干拓が始まり、白方も現在の豊受皇大神宮の社の下から豊岡に続く広い田圃はかつて汽水湖であったようです。
 久慈川の砂州が延び、河口が北上して現在の久慈町(日立市)に港が移るとともに、水際線も下がり、白方は水田へと変化していきました。
                        東海村史編纂委員会「村の歴史と群像」より

 

  白方古墳群は、白方字荒野、馬場崎、城の内にまたがる久慈川右岸の氾濫原を見下ろす台地縁辺部に構築された古墳群で6基以上の存在が確認されています。 白方コミュニティーセンターの建設に伴なって、そのうちの1基が発掘調査されました。
 センター裏手にある古墳は全長27メートルの前方後円墳で、竪穴式石室を埋葬施設とし、38点の副葬品が発見されました。墳丘は中世に白方城が築城された際に削除され、隍(かんぼり)からは人物、馬、家などの形象埴輪片が多量に見つかっています。
                           1993.12.19 東海村教育委員会